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元うつ病患者のふり返り日記

うつ病で会社を9ヶ月間休職した後に復職を果たしました。そんな筆者がうつ病や精神医学についてふり返り考察します。完治に至った闘病記もごらんください。http://snailramp.net/depression/

道徳的であるということを考える 〜not Immorality〜

人として道徳な振る舞いをすることは自然なことのように求められます。まるで息をするのと同じように。

世界でそれは普遍的なことですし、日本では特にそれが美徳であるとされています。

 

ではその求めに応じて日本人がみんな道徳的観念に基づいて行動しているのでしょうか?決してそうではないと思います。それどころか会社では強力な階層構造が存在し、みんな上に行こうと必死に競争します。自分が這い上がるためには仲間を蹴落とす事も辞さず、上司へのゴマすりなど日常的です。

しかしそこにゴマすりなどもっての他、正々堂々と競争すべきという心構えの人がうっかり入り込んでしまうとどうでしょうか。そういう人はたぶん周りの人間の強欲、不条理さに悩み傷ついていきます。そして疲れ果て自分の価値感が不確かになり、やがてはうつ病になってしまう可能性があると思います。

 

しかしその周りの強欲な人間たちは悪なのでしょうか?

実は彼ら彼女らは悪ではないです。むしろ人間としての建前と生物本来の欲求をきちんと区別し、よく理解しているのです。

生物の基本的な目標は自分の遺伝子を優秀な遺伝子と掛け合わせて未来に残す事です。そのためには自分の遺伝子が優秀であることを異性にアピールしなければなりません。ヒエラルキーのできるだけ上の方に行く必要があります。それは犬もサルも人間も生物であればみな同じです。人間の社会で男性はなるべく出世し、肩書きを身につけ、金を稼ぐ必要があります。女性はより美しく着飾り、女の社会でお互いにマウンティングをしながら良い評判を得なければいけません。

すべては自分の遺伝子を残すために。

 

道徳的な振る舞いはこの生物としての本来の欲求と完全に相反しています。それは人間社会をうまく回すための建前に過ぎません。このことを良く理解していないと、生きていく事が本当に辛い事になります。ある時は強欲になり、ある時は道徳的に行動することは人間として普通のことなのです。

よくドラマでは上司にゴマをする人間は出世の事だけを考えた、卑屈な人間として描かれます。そのような登場人物は大抵の場合、最後は正義感の塊みたいな主人公によって追放されます。しかしこれは視聴率を取るためにマスメディアが作った茶番に過ぎません。実社会では出世を望む強欲な人々が出世していきます。そういった社会ではゴマすりは一つのコミュニケーション手段に過ぎません。ゴマすりというのは言い方がよく無いのです。それは嘘であっても人を幸せな気分にさせ、組織の潤滑油として機能します。それができないのはむしろコミュニケーションが欠如した人間として扱われます。

 

学校やあるいは一部の親は子供たちに常に道徳的であれと教えます。それを鵜呑みにした無垢な子供たちは道徳的であろうと努力をします。しかし人生において完全に正義の道を歩むことはは不可能です。時には嘘をつくこともあれば、心にもないことを言う必要があります。あるいは刹那的な欲に負けたりします。そしてその度に自分を責め、自分に罪を負わせます。

一方で現実的な、様々な障害と格闘しながら生き抜いて来た賢い親たちは、自分の子供には美徳が単なる建前であることを教えます。そういった子供たちは生物としての欲求と人間としての建前を上手に使い分け、会社に入れば激しい競争を戦い抜いていきます。自分の親たちがそうしたようにです。

 

人間としての道徳と、生物としての欲求をうまく使い分けられない人生を選ばざる負えなかった人たちは「不器用な人たち」としてくくられます。人間として求められるはずの道徳心を胸に抱きながら、人生の辛酸を舐めます。そして一部の不運な人たちはうつ病などの精神的な病気なっていきます。

 

もちろん正義を貫く人生も間違っていません。それどころか道徳を建前として使い分けている人たちがいることを理解すると、道徳的な道を歩む事がぜんぜん普通のことではないことがわかります。かえってそういった人々をより尊く感じます。しかしそのような人生を歩むには人一倍の能力と努力と精神力が必要になります。ノーベル平和賞を取った人々を見ればわかるように普通の組織に属しているだけではその道を全うすることはできません。一般的な組織では道徳よりも圧倒的に生物としての闘いが求められているからです。

 

道徳的な行動を全ての人に求めるのは難しいです。それをするのは無責任な教育です。そういう教育をする親は自分の経験を正しく子供に伝えられていません。

道徳的であることが本来の生物としての欲求に相反していること、生物としての人間が本来求めているものではないこと、美徳と欲求をうまく使い分ける事は悪ではないことを理解するのは自分への負担を確実に軽くします。

背徳になるべきではないですが、生き方に思い悩む人は道徳的であるという事を今一度考えた方がいいと思います。